ワインの世界には、頻繁に語られることのない言葉が存在します。
その一つが Chaptalisation です。
ワイン造りを学ぶ場では必ず登場する技術でありながら、
実際の会話の中ではあまり口にされません。
時に意図的に避けられるほど、繊細で、議論を呼びやすいテーマなのです。
しかしながら、気候変動に揺さぶられ続ける現代のワイン造りにおいて、
この“古くて新しい”技法は再び注目を集めています。
Chaptalisation とは
Chaptalisation は、
ブドウ果汁(モスト)に糖分(一般的にはショ糖)を加えることで、
発酵後のワインのアルコール度数を補う技法です。
歴史は古く、最初の理論を記したのは
François Rozier 修道士。
後に化学者 Jean-Antoine Chaptal が体系化し、
この技法にその名が与えられました。
本来は、
“ブドウの成熟が十分でなかった年に、ワインとしての骨格を整えるため”
の手段として用いられてきました。
しかし、長きにわたりこの言葉は、
造り手たちの間であまり歓迎されない用語となりました。
専門誌や批評家から
「成熟不足の証」と捉えられることを恐れたためです。
気候変動が変えた“技法の価値”
近年の気候条件は、ブドウ栽培の常識を静かに、しかし確実に揺るがしています。
霜害、病害、不安定な日照、局地的な降雨。
あるいは、かつてのようにブドウが自然に熟していく保証がない年──。
こうした複雑な条件の積み重ねが、数多くのドメーヌに対し、
「必要があればごく控えめにシャプタリザションを行う」
という柔軟な姿勢を促すようになってきました。
もはやそれは、弱さの告白ではなく、
“ワインを成立させるための知的な調整”
という位置づけへと変わりつつあります。
フランスにおける規制と、その揺らぎ
フランスでは、 Appellation ごとにシャプタリザションの可否が厳しく定められています。
使用が禁じられている地域もあれば、 Millésime =生産年の品質に応じて条件付きで許可される地域もあります。
近年、 Chaptalisation が公式に認められた年は2013年、2021年、そして2024年。
これは気候条件がいかに不安定化しているかを如実に示す事実でもあります。
ワインは自然の産物であると同時に、人が「選択する」ことで形を定める飲み物です。
その選択をめぐる技法が、今あらためて静かに見直されています。
揺らぎの中で生まれるもの
ワインは常に変化し続けています。
気候も、畑も、人も、技術も──すべてが揺らいでいます。
その中で、ひとつの技法が新たな意味を獲得することは、決して不自然なことではありません。
Chaptalisation をめぐる議論は、ワインが未来へ進むための「静かな再考」なのかもしれません。
来年、再来年、そしてその先──。
どのような判断が必要とされるのか。
ワイン造りの裏側には、その答えを探し続ける人々が確かに存在することを、ソムリエとして正しく認識し、ワインを愛する人々に適切に伝えていくことが私たちの使命の一つなのだと感じています。
この記事の執筆者
ミシュラン1ツ星レストラン「Origines(オリジン)」 チーフソムリエ
ヴァンサン・ガルダリン
Vincent Gardarin
数々のミシュラン星付きレストランで研鑽を積み、やがてフランス最高峰のホテル格付け“パラス”を冠するパリ8区の名門、ホテル・ル・ブリストル内 三ツ星レストラン Epicure(エピキュール) においてトップ・ソムリエを務めた人物──それがヴァンサン・ガルダリン氏である。
若くして頭角を現し、類い稀なテイスティング能力と研ぎ澄まされた分析眼を武器に、ヨーロッパの星付きレストラン界で確固たる地位を築いた。
現在は生まれ故郷クレルモン=フェランに戻り、フランスM6テレビの人気番組「トップ・シェフ」でセミ・ファイナリストとなったアドリアン・デスクール(Adrien Descouls) 氏が2018年に開いたミシュラン1ツ星レストラン「Origines(オリジン)」 のチーフソムリエとして、日々その研鑽を更新し続けている。