第1回
Emmanuel Raynaud という記憶
考えを言葉にすることは、いつも容易ではありません。
しかし、いまこの瞬間、どうしても書き記さずにはいられない出来事があります。
それは、一人の偉大な造り手への敬意と感謝を捧げるためです。
彼が生み出したワインは、私たちの時間感覚を静かに止め、
一瞬の“間”を与えてくれるような、特別な力を持っていました。
偉大なヴィニュロンの訃報
私たちは最近、 Emmanuel Raynaud 氏の訃報に触れました。
彼は Châteauneuf-du-Pape を象徴する偉大な造り手であり、Château Rayas、Fonsalette、Pignan、Château des Toursといった名だたるドメーヌを通して、比類ない個性と深みを持つワインを世に送り出してきました。
そのワインは、「テロワールを超えて魂に届く」と評価される稀有な存在でした。
(Château Rayasサイトより)
2019年3月──忘れ得ぬ訪問
私が彼への深い敬意を抱く理由は、単にそのワインの偉大さだけではありません。
2019年3月、私は忘れがたい訪問の時間を過ごしました。それは、まるで物語の始まりのようでした。
彼は軽快な足取りで現れ、説明は簡潔でありながら驚くほど精確。葡萄畑を案内しながら、一つひとつの言葉を慎重に選び、必要な分だけを語る人物でした。
やがて私たちは、要塞の扉を思わせる重厚な木扉を押し開け、“時間の流れが消えるような”地下蔵へと足を踏み入れました。
(Château Rayasサイトより)
ラヤスの地下蔵──沈黙が語る場所
薄闇にぼんやりと浮かぶ古樽の列。そこには品種名も、キュヴェの名も何一つ書かれていない。
導いてくれるのは、ただ自らの感覚だけ。私を含むソムリエ仲間にとって、それは試練であり、歓喜の瞬間でした。
盲品で味わう Château Rayas のワインは、造り手の“姿勢”そのものを映し出していました。
沈黙の中に、彼の哲学が確かに存在していたのです。
その後の出来事は私たちとレノー氏の間に留めたいと思います。
彼は常に控えめで、決して語りすぎることのない人物でした。
若き日の自分へ刻まれた瞬間
あのひとときは、まさに“宙に浮いた時間”でした。
若いソムリエだった私にとって、それは感性を揺さぶる体験であり、ワインの本質に迫るための最初の大きな扉となりました。
そして同時に、ワインと向き合う者が持つべき“謙虚さ”を、静かに、しかし強烈に教えてくれた瞬間でした。
心から言いたい。 Merci, Monsieur Raynaud.
この記事の執筆者
ミシュラン1ツ星レストラン「Origines(オリジン)」 チーフソムリエ
ヴァンサン・ガルダリン
Vincent Gardarin
数々のミシュラン星付きレストランで研鑽を積み、やがてフランス最高峰のホテル格付け“パラス”を冠するパリ8区の名門、ホテル・ル・ブリストル内 三ツ星レストラン Epicure(エピキュール) においてトップ・ソムリエを務めた人物──それがヴァンサン・ガルダリン氏である。
若くして頭角を現し、類い稀なテイスティング能力と研ぎ澄まされた分析眼を武器に、ヨーロッパの星付きレストラン界で確固たる地位を築いた。
現在は生まれ故郷クレルモン=フェランに戻り、フランスM6テレビの人気番組「トップ・シェフ」でセミ・ファイナリストとなったアドリアン・デスクール(Adrien Descouls) 氏が2018年に開いたミシュラン1ツ星レストラン「Origines(オリジン)」 のチーフソムリエとして、日々その研鑽を更新し続けている。